最愛の息子よ!ママの声聞こえる?

2011年6月に癌から来る鬱病で母を自死で亡くし、
2016年9月にあと19日で23歳になる長男を統合失調症による自死で突然亡くしました。
絶望の中で何とか這い上がろうとしています。
毎日少しずつでも前に進めたら・・・。
私自身、約7年間鬱病を患っています。

申し訳ありませんが、コメントは自死遺族の方、或いは関係者の方、
又は自死遺族の事をちゃんとご理解して下さる方のみでお願い致します。

日本の自死の数

こんな記事を見付けました。
隠された真実:3万人どころじゃない!本当の自殺者数は18万人!? - NAVER まとめ


私もついこの前まで3万人だと思っていたのですが
実際はもっと沢山の方が自死を選んでいるんですね。
それも遺書がないと自死と認められず、変死になるなんて・・・。


日本はいろんな意味で遅れていると思います。
例えばよくここでも話題にされますが、
「自死だと地獄に行くの?」という質問。
私もやっぱり心配で、息子が亡くなった時、調べまくりました。


これだけストレス社会になって来た昨今、
アメリカでは鬱病による自死は病死と認められています。
なのに先進国であるはずの日本はそうじゃないんですよね。
だから自死遺族はただでさえ辛くて苦しいのに
更に苦しい思いをするんです。


私も母が癌から来る鬱病で自死、息子も鬱病からの自死、
私も5年以上の鬱病で何度も見付かって未遂で終わっていますが
自死をしようとした事あります。


私が今お世話になっている教会の牧師さんと奥さん
(1人では外出できない私の為に、奥さんが毎週勉強会を我が家でして下さいます)
お2人とも息子の場合は「病死ですよ」と言って下さっています。
そのお言葉には本当に救われました。
だから母の場合も同じで、病死と言って下さると思います。


色々な宗教がある中でも、自死を認めない宗教もあるし
認める宗教もあるし、キリスト教でも教会によっては認めないとこもあったり・・・。


でもその仏教の経本とか、聖書とかって一体何年前に書かれたものでしょう?
今の社会に合わせて変える必要があるんじゃないでしょうか?
そうしてもらわないと、私達自死遺族はずっと苦しみと闘う事になってしまいます。


自死遺族が家族を亡くした悲しみにくれているのに
これ以上苦しまなくていい社会にして欲しいと切に願っています。

息子が亡くなった事を認めたくない

よくパソコンに来るアンケートに答えて、ちまちまとポイント稼ぎしています。
それによく「同居している子供の数は?」というのがあります。
うちは3人いて、次男だけ地方の大学なので、今まで「2人」と書いていました。


そして今もそういうアンケートがよく来て、
どうしても息子が亡くなった事を認めたくなくて
今は三男1人なのに、つい「2人」にしてしまうんです。


別に調べに来る訳じゃないし、いいっか~と思っているのもあるけれど
いつも目の前に息子の写真があるし、毎日話し掛けてるし
やっぱり未だに2人同居してると思いたいんですよね。
未練がましい?



息子が亡くなって1ヶ月しない内に、
どうしても息子の事を残しておきたかったのと
息子がFacebookを2年間放置して使ってなかったのを知って
今毎日息子のスマホから、息子の昔の写真やら最近の写真やら
時系列はバラバラだけど、息子の歴史を刻みたくて更新しています。
お友達にも息子の事ずっと覚えていて欲しいし!!


その事も例の故人の声が聞こえる友達のTさんを通して話してもらったら
勿論私がそれをしてる事は息子もあちらから見ていて知っていて、
嬉し恥ずかしの気分だそうです。
「写真は格好いいのにしてね」と頼まれていますが、
懐かしいので、結構何でも載せちゃっています。


昨夜息子の中高の部活の友達から連絡がありました。
ちょうど冬休みに入って、やっと暫し忙しいのから解放され
月曜日に数人で我が家に来てくれる事になったんです!!
何て嬉しい事でしょう!!
息子もさぞかし喜ぶ事でしょうね。
私の知らなかった中高時代の息子の話とかも聞けると嬉しいな♥

息子からの最後のメッセージ

Tさんには四十九日ぐらいまで(現世と霊界の間にいる時期)声が聞けると
言われていたので、「あと10日ぐらいしかないんだ~」と思っていました。
ところが息子からの最後のメッセージは何と39日目だったんです!!


「え~? あと10日はお話できるんじゃなかったの?」
と突然の出来事に凄く悲しくなりました。
とりあえず最後のメッセージはこれでした。


『大好きなママへ
 これがママの子として生まれて、僕なりに一生懸命生きた
 僕からの最後のメッセージになります。


 ママ、僕を産んで大切に育ててくれてありがとう。
 ママと過ごした時間はとても楽しく毎日が幸せでした。
 何かあった時もママがそばにいてくれれば僕は安心でした。
 
 そんな僕がなんで一番大切なママを残して死んでしまったのか
 ママは何度も何度も僕に問いかけていたよね。
 
 僕は確かにノイローゼだった。部活の幹部の皆から無視された事で
 幼い頃からいつも皆とは何かが違っていて違和感を感じていた事を思い出したんだ。
 でも僕は優秀だったから皆が一目置いていて
 いじめの対象にはならなかっただけだったんだね。
 
 大学では皆が優秀だから僕が努力しなきゃ
 皆と上手くやっていけないのかもしれないと思っても
 そのやり方がわからなかった。
 そんな事ばかり考えて悩んでいたら勉強も頭に入らなくなって来た。


 女性に興味を持ってもアプローチの仕方もわからないし
 何もかもが絶望的に思えたんだ。
 それに僕が優秀で立派な医者にならないとママをがっかりさせると思った。
 研究に行く事もできるって言われてもそれを僕は望んでいなかった。
 「もうダメだ」と思った。
 優秀な僕以外を僕自身が受け入れる事ができなかったんだよ。
 気がついたら飛び降りていた。
 衝撃が体に走って意識が遠のく中「しまった!」と思った。
 「ママのところに戻りたい」って思った。


 その後は感情が昂りすぎてて後悔ばかりがグルグル渦巻いて
 何をどうすれば良いかもわからなくて
 ママをいくら呼んでも抱きしめても抱きしめられても
 何の感覚もなくてどうやって気持ちを伝えたら良いかわからなくてすごく辛かった。
 でも暫く経つと体を離れた魂は勝手に一人歩きを始めたんだ。
 どんどん別の人格?になって行く自分に驚いたり戸惑ったりの連続だった。
 
 いろんな事がわかって来たので僕はだんだん落ち着いて来たけど
 ママはますます辛そうだよね。当たり前だよ。ママはまだ生きているんだから。
 確かにこっちに来てこっちに慣れれば生きていた時の気持ちから離れるから、
 そういう意味で言えば楽になれるんだけど、そういう事じゃないんだ。


 だから今の僕にはママに「自然に死ぬまで生きていて」としか言えない。
 今まで届けたメッセージは全て間違いなく僕からのものだよ。
 なりすましなんかじゃない。
 
 今のママには理解してもらえないかもしれないけど
 いつの日かもう一度読み直して欲しい。


 ママ、今まで本当にありがとう。僕はとても幸せだったよ。
 そしてごめんね。最後にママをこんなにも傷つけてしまって。
 でも僕の生きた証はママの心に残して置いたよ。
 だからママが右肩に触れればいつでも僕の心と繋がるんだよ。


 ママ、ママが僕を一番愛してくれてる事は知ってるけど
 他の家族も愛して見守ってやってね。僕からの最後のお願いだよ。
 元気で明るいママがもう一度見たい。そして抱きしめられたい。
 ママ親不孝な僕を許して・・・』


(なりすましとは、なりすまし霊というのもいるんだそうです。
 それと昔感じた違和感とは、高機能自閉症と告知する前から
 何か皆と違うと感じていた事を言っています。
 そして別の人格に・・・というのは、霊になると人格がなくなるので
 現世の時の本人とは変わって行き、その変化に息子は戸惑っていた様です)
 
これを読んで、当然涙・涙でした。
あと10日お話できると思っていたのに、突然の最後のメッセージに
とにかくショックでした。
折角Tさんのお陰で息子の声が聞けたのに、2週間そこそこで終わってしまいました。


そしてその10日後に四十九日法要があり、
僧侶の心無い言葉に、この世襲の仏教と終わりにしようと思い
私達はキリスト教に改宗しました。
仏壇や位牌も仏壇屋さんに処分してもらい、お墓の墓誌も建て替えました。


今は、なかなか1人では外出できない私の為に、牧師さんの奥さんが
我が家にキリスト教の勉強会の為に週に1回来て下さっています。
それが来ていただく様になって3回目ぐらいの時に
キリスト教では一般信者はイエス様が40日目に昇天されたのと同じで
40日目に召天すると知りました。
それを聞いてやっと39日目のメッセージの意味を納得したんです!!


息子はあちらでお経を聞いても訳わからないと言っていたし
あちらで色々なお経やお祈りを聞いてキリスト教を選んだんだ!
そう確信しました。
(因みに現世でキリスト教を選ぶ事をファーストチャンスと呼び
 あちらで選ぶ事をセカンドチャンスと呼ぶ方もいます)


母は現世で既にキリスト教を選んでいたけれど、それを口には出せなかった。
そして息子はキリスト教をセカンドチャンスで選んだから
40日目の召天に合わせて39日目に最後のメッセージをくれたんだと思います。
あちらで母に会って、キリスト教について母に教えてもらったのかもしれないですね。
だから私達がキリスト教に改宗したのは、母と息子の導きじゃないかと思っています。


そして息子が残してくれた最後のメッセージにある様に
毎日右肩に手を乗せて、息子に話し掛けています。
私には故人の声を聞く能力はないので一方通行ですが
息子はちゃんと聞いていてくれると確信しています。
嘘の付けない息子が、嘘を付くはずがないんだもの!!


でも本当は「しまった!」と思った時点で、戻って来て欲しかったなぁ!!
例え半身不随になったとしても、ずっとずっと私の側に居て欲しかったなぁ!!
心が繋がっているとはいえ、やっぱり息子の体にずっと触れていたかったよ。


そう思いながら、毎晩寝る時は息子の匂いが残っている服の匂いを嗅ぎながら
薬を飲んで寝る毎日です。

改宗する事に決めたんです!!

10年前に義母が亡くなった時、キリスト教のホスピスでしたが
看護師さん1人1人がお祈りを捧げてくれたのがとても感動的でした。
あの時にもキリスト教って素晴らしいと思っていました。
きっと義母も幽体離脱してその様子を見ていたと思いますし
私同様感謝しながら感動していたに違いありません。


その後義母の葬儀で、この地方の結構大手の葬儀会社にぼったくられて
その時にもキリスト教に改宗したいと思っていました。
でも当時小4で1番宗教の事をわかっていなかった三男が
改宗を嫌がり、そのままになってしまいました。


そして私の母ですが、勉強家で神智学を30年ほど
聖書の勉強会は10年ほどしておりました。
でも威圧的な父の前では改宗したいとか、クリスチャンになりたいとか
言えなかったのだと思います。
私には「死んだら無宗教でやってね」と頼んでいたぐらいなので
世襲の仏教は信じていなかったんですね。


そして今回息子が亡くなって、葬儀が済んでからですが今度こそ改宗を決めました。
そのきっかけですが・・・。


実は私の友達のTさんが小さい頃から亡くなった人の声が聞こえたり
姿が見えたりする能力がある人で、それで仕事はしてないけれど
霊の方が「伝えて!!」と騒ぐので伝えるという感じだったそうです。


そのTさんが息子が亡くなって25日目に東京から会いに来てくれて
6年振りに再会しました。
私が結婚して以来だったSさんも静岡から一緒に来てくれました。


Tさんにそういう能力がある事をコロッと忘れていましたが
たまたまこの日は思い出し、息子が見えるかどうか聞いてみました。
そしたら私の右隣に座って時折私をハグしていると教えてくれました。
そして息子もTさんにはそういう能力がある事がわかって
Tさんに話し始めました。何度も何度もお世話掛けますとばかりに
お辞儀をしながら話していたそうです。
本当に律儀な子です。


まず驚いた事にTさんに「息子さんはママって呼んでる?」って聞かれました。
1つ前の記事に書いた様に、うちはずっと私の意向でパパママで呼んでいました。
それが聞こえるって事はやっぱりTさんにはわかるんだと思い嬉しくなりました。


その日は久々に会った3人で色々な話をし、東京に戻ったTさんが
LINEで連絡して来ました。


「メッセージが入って来たので伝えます。」と数回送ってくれました。
『ママに伝えて!ママが僕を追って来たら、僕にはもう永遠に会えなくなるんだよ。
 僕はママといつも一緒にいたいんだから寿命が尽きるまで生きていてね。』
(人の寿命は決まっているので、それより早く逝ってしまうと
 別の場所に行かされてしまうそうです)
息子の場合は、残念な事に22歳までって決まっていたみたいです。


それと
『ママの人生のシナリオには僕の後追いするシーンは
 描かれてはいないんだってことに早く気付いて』
とも友達に伝えて欲しいと言っていたそうです。


その翌日も翌々日(四七日でした)もメッセージを送ってくれました。
四七日なので、私は明け方ずっと泣いていました。
そんな事をTさんにLINEしたら、息子はTさんの声は聞こえないけど
私の声は聞こえ、そしてLINEの文字は読めるんです。
だからTさんのLINEを読んで、私にこうやって言って来ました。
『ママと一緒に僕も泣いていました。
 こんなに悲しい思いをさせるなんて思ってもいなかったのに・・・
 本当に本当にごめんねママ』
やっぱり泣き過ぎて、息子を心配させちゃっていたのね。


そしてその夜又メッセージが来ました。
『ママ、僕だってママと直接お話できたらどんなに良いかわからないよ。
 僕が話しかけてもママは答えない。
 そして気持ちが通じてないと思ってるから泣いてしまうんだよね。
 気持ちは通じているよ。そばにいるんだよ。ひとりぼっちになんてしてないよ。』と。


そしてTさんが、
「何度か同じメッセージが来ていたけど、すぐに伝えられなかった。
 あと食事が進まないことも心配していたよ。
 食べ過ぎはダメだけど大好きなサキイカも食べたくないの?って聞いてた。」って。


これには笑ってしまいました。
息子がいなくなって全く食欲がなくなったのを心配して言ってくれたんですが
息子には以前
「昔の映画館は今みたいにお洒落じゃなくて
 せいぜいサキイカとかピーナツとかぐらいしか売ってなかったけど
 私はサキイカが大好きだったから、いつもサキイカを食べていたんだよ」
と話した事が数回あるんです。
それを覚えていて、消化は悪いけど、私の好きなサキイカの事を言い出したのですが
これを知っているのは息子だけなんです。
Tさんは色々な霊の声が聞こえるので、最初は「何でサキイカ?」と訳がわからず
私の息子から私へのメッセージじゃないかと思って伝えてくれたらビンゴでした。(笑)


その後も色々お話し、その時息子が言いました。
『生きていた頃よりママを身近に感じているよ。
 こんなに愛されていたなんて思わなかったから嫌われないように
 悲しませないようにって一生懸命頑張っていたんだよ。』って。
だから私は息子に言いました。
「私が嫌うはずないのに!こんなに私の事を助けてくれて、いつも気遣いしてくれて、
 優しくて、本当に自慢の子なのに!!」とLINEで伝えました。


息子とは3日に2日ぐらいお話していました。
ある時息子が私にこうやって言って来ました。
『お経をあげると霊が成仏すると言うのは嘘だよ。
 死んだってサンスクリット語がわかるようになるわけじゃないんだ。
 それに現在のお経はかなり鈍っていて意味さえ通じないんだよ。
 お経は生きている人の心を鎮めるためにあるんだよ。
 ヒーリングソングみたいな役割なんだ。
 でも無駄な行為ではないよ。霊には気持ちはちゃんと伝わるからね。』


これを聞いた時が今度こそ改宗しようと思ったきっかけだと思います。
そして四十九日の時、お経をあげに来てくれた僧侶に悲しみのどん底にいる私に
更に五寸釘を打つかの様な事を言われました。


「死んだらおしまい。霊も魂もない」と。
いや、だって私実際に息子とお話してましたけど!!
そして納骨もなるべく手元に置いておきたくて渋っていたら
「大きい方の遺骨は、あんなの土に返るだけですから
と言われた時には、あまりにもショックな言われ方に
この僧侶、そしてこの宗教にはもう付いて行きたくないと思いました。


パパも「ママが心穏やかになれるものならどんな宗教でもいいよ」と言ってくれたので
そこから2週間ほど調べまくったり、友達に相談したりして
結局キリスト教に改宗する事になりました。
地方の大学にいる次男は「僕はいいよ。任せるから」と言ってくれましたが
又しても既に大学2年の1番なんちゃって仏教徒だった三男が
「俺には改宗する理由がない」と言って反対して来ました。
でも4人中3人が同意していたし、三男が改宗しない理由もないですし
(一応カトリックの大学に行っています)
どうせ元々なんちゃって仏教徒ですから、世襲の仏教にこだわるのも筋が通りません。
家族で1番なんちゃって君で、ちっともお線香もあげてくれない子でしたしね。


別に次男と三男にクリスチャンになれと言ってる訳ではないし、
これから色々な行事がキリスト教で行われるというだけなんです。
だからこの際三男の理不尽なこだわりは無視して改宗する事にしました。
その理由も実はまだあるんですが、それは又今度書きますね。

本葬

葬儀でもやっぱり部活で一緒に幹部をしてた人達は何も挨拶なしでした。
彼らは全く悪いなんて思っていないんでしょうね。
虐めに負けた息子が悪いとしか思っていないんでしょうね。
本当に理不尽で悔しいです。


中高で仲良くしてくれた部活の仲間は泣いてくれました。
「一緒の大学だったら悩みもわかってあげられたのに・・・」
と言ってた事を彼らのお母さんから後で聞かされました。
息子はあの頃彼らと一緒に過ごした時間が1番幸せだったと思います。


中高の部活仲間は、大人しい息子をありのまま受け入れてくれたけれど
大学では冗談も言えて会話を上手に運べる子じゃないと受け入れてもらえないんですね。


最後にお花を棺に皆で入れてあげる時も、又涙・涙です。
「ママはどうやって生きていったらいいの?」「ママ、生きていけないよ!」
と叫んでいました。
(うちは私が「お母さん」と呼ばれるのを拒否していたので
 今でも「パパ」「ママ」なんです)


やっぱりお通夜とは違い、本葬は辛かったですね。
だって葬儀が終わるとすぐに火葬場ですもん。


そして火葬場に付くと、お役所仕事だから、
棺の上にお線香を1本ずつ置くと、すぐに炉に入れられちゃうんですよね。
最後の挨拶もさせてもらえません。


私は棺にすがって「行かないで~!」「連れて行って~!」「戻って来て~!」
と叫んでいました。
そんな私をパパが押さえ付けて、息子の棺は無情にも炉に入ってしまいました。


もう倒れる様になって大号泣です。
立っている事もできない私は車椅子に乗せられて、待合室まで運ばれました。
茫然自失になっている私の手を次男はずっとギュッと握っていてくれて
私の背中をトントンとしてくれていました。
反抗期三男はずっと知らん顔でスマホ三昧でした。


未だに三男からは、慰めの言葉を聞いた事はないし
私を精神的に支えようとしてくれた事すらありません。
私が大切な大切な長男を亡くして、悲しみのどん底にいるのに
どこ吹く風でしたし、今もそうです。
私が宝物を失くした事を喜んでいるとしか思えないぐらいでした。
未だにそう思えます。


息子が骨だけになって呼ばれて炉に戻り、私は又大号泣。
東京の方では全部の遺骨がもらえるそうですが、
この地方では予め申請しないと全部もらえないそうですね。
知らなかったので、大きな骨壷と小さな骨壷の2つがあるだけでした。
大腿骨もなかったら、息子はどうやって走るの?
でももらえないんですね。
私の分身なのに、火葬場で残りは処分されちゃうんですね。


斎場に戻って、家族だけで初七日をしました。
帰って家の仏壇のある部屋に祭壇を飾ってもらい
私は四十九日まではその部屋で眠る事にしました。
毎晩息子の匂いがまだしている服の匂いを嗅ぎながら
朝起きたら、息子が戻って来てくれてる事を期待しながら
導眠剤を飲んで寝ましたが、いつも通り4時間も眠れませんでした。