最愛の息子よ!ママの声聞こえる?

2011年6月に癌から来る鬱病で母を自死で亡くし、
2016年9月にあと19日で23歳になる長男を統合失調症による自死で突然亡くしました。
絶望の中で何とか這い上がろうとしています。
毎日少しずつでも前に進めたら・・・。
私自身、約7年間鬱病を患っています。

申し訳ありませんが、コメントは自死遺族の方、或いは関係者の方、
又は自死遺族の事をちゃんとご理解して下さる方のみでお願い致します。

三男からの五寸釘爆弾

うちは6年前に母がいきなり末期の子宮癌になり、
前々から「延命治療はしないで!」「管で繋いだスパゲティー症候群はやめて!」
と父母共に頼まれていました。
だから母はいきなりの末期癌ですぐに手術する様に言われたのに
延命治療は嫌だから、このまま天命を全うしたいと聞きませんでした。
でもそれが母の望みだったから、緩和ケアだけして、
痛くなったら薬を飲んで、普段は癌の事は忘れようって事にしました。


でもその癌細胞が思ったよりも酷くて、もろくなって落ちて来てしまい
大量出血して病院に逆戻りになり、次に剥がれ落ちたら
大量出血で失血死すると言われ、母も致し方なく手術に同意しました。


でもその後の放射線治療とかPET検査とかもあり、
元々癌家系じゃないのに癌になって、鬱病になってしまいました。
そして私は全摘と放射線治療でまあまあいい感じに行ってると思っていましたが
鬱病からの自死で3回の未遂の後、4回目に逝ってしまいました。



そして以前にも書いた嫌いだった父が、母がこんな亡くなり方をして哀れに思えて、
パーキンソン病だったので、母のお通夜の日の昼間にあちこち電話して
父が入れる施設を探しまくりました。
やはりプロにお任せしないと共倒れになると思ったからです。


あれこれ父に尽くして来たけれど(元姉は殆どせず、押し付けられてました)
結局は私は利用されていただけで、何も手伝いもしない元姉に
私の事をさんざん悪口言ってるのがわかり、
昔から絶対服従だった元姉に対する恐怖心と、
尽くしても尽くしても裏切られた父への気持ちで
自分で言うのも何ですが、元々真面目で責任感が強い私は鬱病になりました。


そしてその父も母の没後2年で他界しました。
パーキンソンだったから誤嚥性肺炎にそれまでも数回なり
入退院を数回しましたが、最後は回復しませんでした。
その時に入院の保証人も元姉に全部押し付けられていたので
病院から電話があり、腕からの点滴を胸の静脈に変えるともっと栄養が入るし
胃瘻にすればもっと入って、寿命も延びると言われました。


でも母が存命中に「絶対に延命治療はしないで」と固く言われていたので
その事を伝えてお断りしました。
当時三男は高2でしたから、十分に理解力も分別もあるはずです。
そして父はその後退院させられ、点滴を変える医療行為のできる施設に引越しさせ
その後栄養も少ないので、衰弱死となりました。
でもこれが父と母が望んだ延命治療のない自然な亡くなり方でしたから
皆納得していると思っていました。


ところが今年の9月に長男が自死した際に、葬儀が終わった直後だったでしょうか?
いきなり三男が父の死後3年経って、私に言って来ました。
「じいちゃんはママが殺した。ママは人殺しだ」って、2回も言われました。
3回目に言われた時には、「殺人鬼」に昇格(?)していました。


三男は父の事が好きだった訳ではありません。
父はうるさいのが嫌いだったから、子供達を連れて行っても
鬱陶しそうに「早く帰ってくれんか?」と言う事もあったぐらいなので
子供達も好きではなかったんです。


最愛の優しい息子が亡くなって悲しみのどん底にいる私に
慰めの言葉を掛けないだけでなく、そういう言葉を浴びせて来る三男にショックでした。
「あの時説明したでしょう?」と言ったんですが、「覚えてない」と言われました。
年の近い上の2人はちゃんと覚えていて、納得してそういう措置にした事知ってるのに
何故一緒に話をした三男だけ覚えてないの?
人の話をいい加減に聞いていたの?


とにかく私がこんな状態でいるのに、私の鬱病の事も「鬱病アピール」だと言ったり
こうやって「人殺しだ」と五寸釘爆弾を仕掛けて来る三男が信じられませんでした。


一応パパに言われて謝って来たけれど、多分心から謝ってはいないでしょう。
それは息子が亡くなってからの三男の未だに反抗的な態度を見ればわかります。


私が鬱病から来る胸の圧迫感で胸筋に力が入らないので
色々できない事が多くて、パパと長男が色々手伝ってくれていました。
(次男は地方の大学です)
一応お通夜の時は三男が自ら「これから色々やっていかないといけないね」
とパパに言ったそうですが、それも口先だけで何1つ変わっておりません。


毎晩11時に帰れば早い方で、大抵0時とか0時過ぎ。
外泊も週に少なくとも1日はあります。
それでは家の手伝いなんかできるはずありません。
翌朝起きて手伝うかというと、ギリギリまで寝ているから
遅刻もしょっちゅうで、昼ぐらいまで寝ていて、身支度だけして出て行くという毎日。


人が悲しんでいる時に優しい言葉や態度も示せないだけでなく
人がやってくれる事は当たり前の殿様状態です。


亡き母は三男の事を0歳の時から「岩石岩男」だと見抜いていたぐらいで
あの頃からずっと頑固な部分は変わっておりません。


今の私には、優しい息子が急に亡くなった事だけでもショック過ぎるのに
三男の五寸釘爆弾の応酬に、どうやって生きていったらいいのかもわかりません。
次男にはよくLINEで相談に乗ってもらっていますが、
三男は一生変わらないと思うと言っています。


長男が亡くなった時の冷たい態度も酷かったけれど、
あの時に改心して優しい言葉を掛けてくれたり、気遣いしてくれていたら
多分今全然違っていたでしょうね。
でも岩石岩男だし、格好付け命の子なので、簡単には変わらない様です。


長男がいない今、家に居れば不貞腐った態度しか取らないし
1番のなんちゃって仏教徒だったのに改宗には反対したり
今までは長男という盾があったけど、今はそれがないので
本当に二重三重に辛い毎日です。
こんなのが続くと、やっぱり私も自死の道を選びたいと思ってしまいます。
亡くなった息子の事だけでも十分過ぎるほど辛いのに
更に三男から五寸釘爆弾を仕込まれて、生き地獄の毎日です。

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