最愛の息子よ!ママの声聞こえる?

2011年6月に癌から来る鬱病で母を自死で亡くし、
2016年9月にあと19日で23歳になる長男を統合失調症による自死で突然亡くしました。
絶望の中で何とか這い上がろうとしています。
毎日少しずつでも前に進めたら・・・。
私自身、約7年間鬱病を患っています。

申し訳ありませんが、コメントは自死遺族の方、或いは関係者の方、
又は自死遺族の事をちゃんとご理解して下さる方のみでお願い致します。

夜中に病院から連れ帰ってわかった事

救急に駆け付けた時から、既に冷たくなっていた長男。
検死に時間が掛かり、待つこと数時間以上。
やっと病院を出られたのは午前2時半頃。
既に葬儀屋さんにお迎えの連絡をしてあったので、
きっちり正確に迎えに来て下さった。
パパだけワンコ達を連れて警察の人達と先に家に帰り、
三男と私と、連絡をした長男の中高の時の親友の1人とそのお母さん
そして母の時もお世話になった叔父も午前1時ぐらいまでいて下さった。
まだ時間が掛かると言われたので、その時に帰っていただいた。


この時残った三男も実はひと悶着あり、私がタクシーで病院に向かう時に
三男のスマホに電話をしたら、ちょうどバイトが終わったとこだと。
バイト先から病院は地下鉄で3駅なので、すぐに来られるから
すぐに来る様に言ったら、「俺今から友達と会うから」と拒否された。
タクシーの中だったけれど、思わず叫んだ。
「アンタはお兄ちゃんの命と友達との約束とどっちが大切なの!」と言ったら
渋々友達との約束をキャンセルしてくれた。
とにかく反抗期を一体何年やるの?というぐらいの反抗期中です。(今でも)


友引の関係で長男は家に2日いる事ができた。
ドライアイスで冷やされて、ずっとリビングの真ん中に寝かされた。
私は勿論何度も何度も撫でてはキスして
朝起きたら夢であったらいいのに・・・と願いながらも
あちこちに連絡しないといけないので、長男のスマホを使って連絡しまくり
丸2日間寝ずに連絡しまくった。
元々鬱病からの不眠症なので、起きている事が苦にならなかった。
寝ていない事にも気付かなかった。


前にも書いた様に、元姉とは縁を切っているので、
どこからどうバレるかわからないし、バレたらどうせ「ざまあみろ」と思われる。
だから信用できる親戚と元姉家族と繋がりがなさそうな親戚にしか伝えなかった。


長男は部活を通して人間関係に悩み、将来を悲観してこういう道を選んだという事が
パパが色々メモ書きとかを探し出してわかった。


・こんな状態になった以上、元に戻るのは病気の性質上難しい
 (こんな状態とは欝状態の事だと思います)
・日常生活を上手く送れない
・勉強もままならず、言われた事が全く頭に入らない
・このままじゃ国試受からない
・受かったとしても、どうせ人間関係うまくできない
・誰とも会話できない
・人が宇宙人に見える


これは遺書ではなく、メモ書きの方です。


長男は実は高機能自閉症として生まれ(アインシュタインもそうらしいです)
写真記憶もあり、頭は良かったんですが、人間関係が苦手でした。
でも中高ではいい仲間に部活で巡り合い、大人しい長男の事も受け入れてくれて
いつも試験後には皆でカラオケしたり、スポーツしたり、とても楽しく過ごせました。
彼らも同じく医学部狙いの子が多く、同じ大学を皆目指していましたが
センターを受けて、思ったほどの点数が取れなくて、志願変更をしてしまった子ばかりで
そのまま突き進んだのはうちの長男だけでした。
私は茨の道に行って欲しくなかったから、
「9割取れなかったから、1つランクを下げて受ける」と約束してもらいました。
それに6点足りなかったけれど、本人は「俺は2次力があるから突き進む!」
と言うので、私には止める事はできませんでした。
部活の仲間も同じ様な点数だったけれど、2次に自信がなく
1つランクを下げて受けて合格しました。
長男は宣言通り2次で挽回して合格しました。
でもあの時1つランクを下げて受けていたら、
中高の部活仲間1人と同じ大学だったのに。
1年後には救急に駆け付けてくれた親友もそこに入学していたのに・・・。


私は自分が鬱病で苦しかったから、あの時「ああ、私の子育て殆ど終わった」
と思ってしまいましたが、それが間違いでした。
長男は部活(医学部専用です)で色々経験しなくちゃという思いもあり
自分から志願して幹部の会計をやりましたが、
話題作りも上手じゃないし(そういう関係の本、いっぱい読んではメモしていました)
「超」が付くほどの真面目で、そういうとこが幹部の他の人達には
驚異に写り、鬱陶しかったのでしょうね。
5~6人の幹部だったと思いますが、うちの長男は無視されていきました。
だから1年間は辛くて大変だったと最後の方になって教えてくれました。


幹部(3年秋から1年間)が終わりホッとして、5年生になっても部活が好きだったから
5年生で1番練習に参加していました。
後輩との関係はとても良かったようです。


大学生なのに、5年生は病院実習があるから、たった1ヶ月しか夏休みがなく
その間に家庭教師はお休みだったので、単発のバイトを何回も入れたり
ボランティア活動に4回ぐらい出掛けて、繁華街を掃除したり
献血も趣味かと思えるぐらいにしていました。
真面目な子だったので、6年の3月に受ける国試の勉強も
夏休みが始まるや否や始めました。
家にいる時は勉強か、ちょっとした休憩か、部活(卓球)のサーブの練習か
色々家事ができない私の手伝いをしてくれていました。


そして9月1日に学校が始まり、実習が始まりました。
後期が始まったばかりなのに、その月の7日に死を選んでしまったんです。
どうも8月に人間関係で悩む事が起きた様でした。
部活で幹部に無視されて、将来の人間関係も悲観していましたから
あの虐めとも言える無視がなければ、こんな事は起こっていなかったと断言できます。
でも頭のいい集団はやる事が狡猾です。
水面下で行われており、幹部以外の人間は誰も知らなかった様です。
幹部のキャプテンは同じ中高でしたが、学校でも学力No.1で
多分大学の医学部でもそうだったのでしょうね。
だから誰も彼には何も言えず、既に学生にして派閥があった様なもんだったのでしょう。


大会の遠征も、私が「明日は何時の電車で行くの?」と聞いても
1日前なのに「まだ決まってない」といつも言っていました。
変だな?と思って聞くと、皆と一緒に行きたくないから
違う電車で行きたいと。
誰か1人でも、派閥の壁を破って、長男を誘ってくれていたら・・・。
私は今でも彼らの事が許せません!!

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