最愛の息子よ!ママの声聞こえる?

2011年6月に癌から来る鬱病で母を自死で亡くし、
2016年9月にあと19日で23歳になる長男を統合失調症による自死で突然亡くしました。
絶望の中で何とか這い上がろうとしています。
毎日少しずつでも前に進めたら・・・。
私自身、約7年間鬱病を患っています。

申し訳ありませんが、コメントは自死遺族の方、或いは関係者の方、
又は自死遺族の事をちゃんとご理解して下さる方のみでお願い致します。

本葬

葬儀でもやっぱり部活で一緒に幹部をしてた人達は何も挨拶なしでした。
彼らは全く悪いなんて思っていないんでしょうね。
虐めに負けた息子が悪いとしか思っていないんでしょうね。
本当に理不尽で悔しいです。


中高で仲良くしてくれた部活の仲間は泣いてくれました。
「一緒の大学だったら悩みもわかってあげられたのに・・・」
と言ってた事を彼らのお母さんから後で聞かされました。
息子はあの頃彼らと一緒に過ごした時間が1番幸せだったと思います。


中高の部活仲間は、大人しい息子をありのまま受け入れてくれたけれど
大学では冗談も言えて会話を上手に運べる子じゃないと受け入れてもらえないんですね。


最後にお花を棺に皆で入れてあげる時も、又涙・涙です。
「ママはどうやって生きていったらいいの?」「ママ、生きていけないよ!」
と叫んでいました。
(うちは私が「お母さん」と呼ばれるのを拒否していたので
 今でも「パパ」「ママ」なんです)


やっぱりお通夜とは違い、本葬は辛かったですね。
だって葬儀が終わるとすぐに火葬場ですもん。


そして火葬場に付くと、お役所仕事だから、
棺の上にお線香を1本ずつ置くと、すぐに炉に入れられちゃうんですよね。
最後の挨拶もさせてもらえません。


私は棺にすがって「行かないで~!」「連れて行って~!」「戻って来て~!」
と叫んでいました。
そんな私をパパが押さえ付けて、息子の棺は無情にも炉に入ってしまいました。


もう倒れる様になって大号泣です。
立っている事もできない私は車椅子に乗せられて、待合室まで運ばれました。
茫然自失になっている私の手を次男はずっとギュッと握っていてくれて
私の背中をトントンとしてくれていました。
反抗期三男はずっと知らん顔でスマホ三昧でした。


未だに三男からは、慰めの言葉を聞いた事はないし
私を精神的に支えようとしてくれた事すらありません。
私が大切な大切な長男を亡くして、悲しみのどん底にいるのに
どこ吹く風でしたし、今もそうです。
私が宝物を失くした事を喜んでいるとしか思えないぐらいでした。
未だにそう思えます。


息子が骨だけになって呼ばれて炉に戻り、私は又大号泣。
東京の方では全部の遺骨がもらえるそうですが、
この地方では予め申請しないと全部もらえないそうですね。
知らなかったので、大きな骨壷と小さな骨壷の2つがあるだけでした。
大腿骨もなかったら、息子はどうやって走るの?
でももらえないんですね。
私の分身なのに、火葬場で残りは処分されちゃうんですね。


斎場に戻って、家族だけで初七日をしました。
帰って家の仏壇のある部屋に祭壇を飾ってもらい
私は四十九日まではその部屋で眠る事にしました。
毎晩息子の匂いがまだしている服の匂いを嗅ぎながら
朝起きたら、息子が戻って来てくれてる事を期待しながら
導眠剤を飲んで寝ましたが、いつも通り4時間も眠れませんでした。


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